小説、その2「井森家の記憶」

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古希の三人娘(第20回)

第20回(12/16)
 真央は自宅マンションで、明枝が逝ってから三カ月が経った、と、灌漑にふけっていた。
 真央は海外旅行のドイツから帰国するやいなや、ひとり息子の悠太からこんな電話をもらった。
「あいつはわがまますぎる、一緒に暮らすのはもぉ―嫌だ、離婚して、母さんのところに行っていいか?」
「えっ! 今、何と?!」
 その言葉に今やひとり暮らしを謳歌している真央は、大いに慌てた。
 夫と仲が悪かった真央にとって、ひとり息子の悠太は希望の星だった。この子がいるから嫌な夫でも我慢できる、この子のためなら我が命を投げ出しても、だった。だが、結婚した悠太は嫁と我が子がいる我が家庭第一となって、結婚以来、母親の真央を気遣う言葉ひとつ、行動ひとつ示さなかった。
 昨今は子供がいても簡単に離婚が増えているが、真央は子供はふた親で育てなければ、が、信条で、それだからこそ、真央は夫と仲が悪かったのだが、子供のため一念で、離婚しなかった。もし悠太がいなかったら、とっくの昔に生き別れをしていただろう。 
 夫の勝治は女が腐ったような男で、すべてにおいて細かく、家長としての威厳たっぷりだった。
 要するに、勝治の頭は昔の男で、「結婚した女は性生活を伴う女中奉公をする」だった。
 勝治の給料は勝治が管理し、妻の真央は毎月生活費として十万円を渡された。
 家電や家具など一万を超す買い物は勝治が店まで一緒に行って、あくまでも勝治好みの物を買った。
 その他、必要な物はいちいち勝治にお伺いをたてて、勝治の許可がおりた時点でお金をもらった。
 そんな生活が真央は嫌だったので、悠太が小学校高学年になるのを待って、パートで働き始め、自分の収入は自分で自由に使っていた。
 パートで働くからといって、家事に手抜きはできなかった。
 自宅にいる限りはテレビの前の我が定位置に座り通しの勝治は、お茶ひとつ自分でいれたことがない、家事をやらない男だった。
 会社勤めだった勝治の帰宅時間は毎日午後七時きっかりで、帰宅早々入浴、夕飯は午後七時半、午後十時に就寝、という自分の習慣をけして崩さなかった。
 自宅にいる勝治はいつも苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、外面はよかったらしく、よく、「ご主人にお世話になっております」と、真央の知らない顔が我が家に菓子折り持参で訪れた。
 客を前にした勝治は相好を崩して多弁となり、実にご満悦の体だった。が、客が我が家から去ったとたん、いつもの仏頂面に戻って寡黙となった。
 勝治は真央が何か意見を言おうものなら、「誰に食わせてもらってるんだ!」と、大声で怒鳴って、聞く耳を持たなかった。
 だが、そんな勝治だったが、ひとり息子の悠太を溺愛した。悠太の教育費には出費を惜しまなかった。ふた親に愛されて育った悠太は明るく素直に育ち、少なくとも結婚するまでは真央の希望の星だった。
  (続く、第21回)