小説、その2「井森家の記憶」

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古希三人娘、最終回(エピローグ)その3

aruka

第62回最終回(7/9)
 エピローグ(その3)春子


 春子が自宅に戻ると夫の昭夫が相も変わらず苦虫を噛み潰したような顔で、家のど真ん中、リビングの長椅子に深々と腰かけて、目をテレビに向けていた。
「ただいま」と声をかけると、視線の先はテレビ画面のまま、「帰ったのか」と、心ここにあらずの声で返事をした。
 そんな昭夫を見る都度、なぜ老夫は帰宅した老妻に気の利いた台詞ひとつも吐かないのだろう、と、がっくりする。
 我が家にはテレビが二台ある。一台はリビング、もう一台は春子の部屋。
 春子は自室のテレビには予めみたい番組を予約録画しておき、あとからゆっくりとみられる時に、みることにしている。
 テレビが二台あるのは、昭夫と春子がみたい番組が違うからだ。
 互いに年老いた今、夫婦だからといって、自分がみたくもない番組を相手に合わせてみる必要もなかろう、と、ある日、春子は録画予約ができるテレビを購入して自室に設置した。
 リビング続きのキッチンでお湯を沸かして、コーヒーをいれ、自室に運んだ。
 自室で着替えると、改めて我が巣に戻ってきた安堵感を覚える。
 古希の三人娘で夫がいるのは春子のみで、真央も富由美もひとり暮らしなので、一日の二十四時間を自分ひとりの裁量で過ごしている。
 彼女たちと比べたら、老夫が常に自宅にいる春子は一日に三回の食事作りに追われているといっても過言ではないのだが、そこは主婦歴五十年、適当に手を抜いて我が時間を作っている。
 そして、時として女友達の誰かしらに昭夫の悪口を垂れつつ、心のなかで、昭夫が死んだら?と、楽しい空想に胸を膨らませるのだが、もし昭夫の死が現実になってしまったら、手がかかる者を失ってしまい、腑抜けになって、惚けてしまうかもしれない。
 が、まぁー、しかし、昭夫が生きているうちは、うっとうしいじいさんだなぁー、と、思い続けるだろう。
 空になったコーヒー茶碗をキッチンに持っていったら、昭夫が近づいてきて、「今日の夕ご飯は何かい?」と、尋ねた。
 今現在の時刻は午後四時なのだが、五時半に夕飯を食べたくなる昭夫は、もう今から春子に夕飯を支度を急かす。
 今日の春子は古希三人娘でお昼をお腹いっぱい食べたので、まだ夕食の献立を考える気にならない。
 ひとり暮らしだったら、今日は夕食を抜いただろうが、昭夫がいる限り、今日も夕飯の用意をしなければならない。
 冷蔵庫を覗くと、冷凍庫に魚の切り身、野菜室にはほうれん草があった。
「煮魚とほうれん草のバター炒めよ」
「そぉー、かぁー。散歩に行ってくる」
 今日も無事に夕食にありつけると安心したのか、昭夫がリビングから消えた。
 五年前にステージ三の卵巣がんになった春子は、そのがんは五年生存率が三十パーセントのため、死を覚悟した春子だったが、いまだ生きているのは、この世にまだ自分がする用が残っているからだろう。
 生きている限りは、日々自分に与えられた用を自分なりに淡々とこなしていこう。
         ー了ー