井森家の記憶(第1回)
井森家の記憶
森 あるか
第1回(11/20)
はじめに
2019年、姉(享年76歳)と兄(享年72歳)が相次いで病死した。
父は2001年に84歳で、母は2007年に88歳で逝っている。ふた親は長生きの方だったが、70代で死去した姉と兄は少しばかり早く死を迎えてしまった、と、残念に思う。
親兄弟がこの世からいなくなって寂しいと感じることは、横浜の実家で暮らした日々を懐かしんで話す相手を失ったことだ。
末っ子の私はこの世に生を受けて以来、親兄弟に甘えて頼って生きてきた。
現在、71歳の私だが、6年前にステージ3の卵巣がんになった時、がんイコール死と思いこんでいたので、3人兄弟のなかで一番先に逝くのは自分だ、先に逝くのも悪くない、と、思ったのだが、その私が姉と兄を見送って、未だに生きている。
卵巣がんの手術から6年が経ったのだが、再発も転移もせず、今は普通の生活をしている。
21歳で所帯を持って結婚生活が51年になる私だが、夫も子供も孫もいるのだが、彼らには頼りにされるばかりで、時には頼れる親兄弟が生きてればなぁー、と、思ったりするが、もはや彼らが生き返ることは不可能なので、ならば、私なりに大地を踏ん張って生きていこう、と、自分で我が身を叱咤激励する。
だが、親兄弟がいなくなったことで、頭の上の重しが取れて自由になった気もするが、この年で今更自由になったところで取り立てて何をすることもなく、で、今まで通りに生きるしかない自分がいる。
この先、いつまで生きられるか知るよしもないが、井森家の生き残りのひとりとして横浜の実家での暮らしを残しておきたい気持ちが強くわきあがってきた。
井森家は昭和のどこにでもある家庭だったが、そこは井森家の兵たちの些細なる戦いの場でもあった。
実家があった井森家は今、赤の他人の駐車場となって跡形もないが、その40坪の土地を見つめていると、かつてそこで繰り広げられた井森家の生活が蘇ってきて、胸が熱くなる。
その土地や井森一家の夢の跡 (続く、第2回)
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