小説、その2「井森家の記憶」

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井森家の記憶(第94回)

第94回(11/1)
 女同士の姉と私は喧嘩しいしい結婚後も付き合っていたが、男の兄とは結婚後の付き合いはあまりなかった。
 現役時代の兄は会社の仕事で平日は忙しく、休日は兄も私もそれぞれの家族と過ごしたので、付き合う機会があまりなかったからだ。
 兄と顔を合わせるのは親戚の結婚式か葬式か法事だったが、それとてそれぞれの家族が傍らにいたので、兄と親しく口を聞くことはなかった。
 冠婚葬祭時に兄にぴったり寄り添っていた兄嫁は家事が苦手、なかでも掃除が苦手だったようで、兄嫁は時たま会う私に、「お茶でも飲みに寄って」の、誘いの言葉ひとつ寄こさなかった。
 その理由はたぶん汚れた家を見られたくなかったからだろう。
 その兄嫁がよく発した言葉は、「正樹さん、給料が安い、金遣いが荒い、うちはお金がない」だった。
 兄をけなす兄嫁に、兄と血の繋がりのある私は自分をけなされたような不愉快さを味わってしまい、どうしても兄の擁護をしてしまうのだった。
 兄は大学卒業以後、定年までひとつ企業に勤めた。井森家の親からも金銭的援助をしてもらっていた。
 その兄宅がお金に困るのは、兄嫁の家計管理が下手だから、だと。
 21歳で結婚して井森家を出た私は、それ以降は我が家のことで精一杯で、付き合いの薄かった兄宅を思う気持ちの余裕がなかった。
 後年、のんき面をしていた兄が私にしみじみとこう語った。
「女房が乳がんになった時、子供はふたりともまだ小学生だった。おまえ、その時のオレの気持ちがわかるか?」
     (続く、第95回)